BRB池井塾

2013/7/24

慶應義塾ボクシング部~その苦難の歩み

慶應義塾大学 名誉教授 池井 優

Ⅰ. ボクシングの起源と近代ボクシングの開始
1. ボクシングの起源は、人類の二足歩行とともに始まる。
2.「クインズベリー・ルール」(12条)と近代ボクシングの開始(1876年)
   1)投げ技禁止
   2)3分間1ラウンドとラウンド間に1分間の休憩
   3)グローブの使用
   4)ダウンした者が10秒以内に立ち上がれない場合は、KO負け・・・・

Ⅱ. 慶應義塾ボクシング部の誕生と発展(戦前編)
1.「慶應義塾拳闘倶楽部」が発足(1925年. 大正14年)
2. 米国帰りの「渡辺勇次郎」、下目黒に「日本拳闘倶楽部」開設(1921年)
  この道場で腕を磨いた塾生:富田信雄、石川輝、土屋愛次郎らに商工部愛好会の
  海老沢清が中心となり創設
  初代部長「ティルソン・ウイード」部員20名
3. 練習場難~ジプシー暮らし
   商工部教室⇒新館3階屋上⇒医学部予科教室裏の三角の空き地⇒剣道部道場
   ⇒町道場「良武館」⇒普通部雨天練習場
4.「全日本学生拳闘連盟」結成
   ⇒第1回全日本学生拳闘選手権大会(1925年 5/16~17)
   「石川輝」全日本学生フェザー級チャンピオンになる
5.「日本初の大学対抗戦(1927年 5月)
   ⇒「慶明戦」引き分け(5:5)於:青山会館
6. 第1回「早慶戦」に勝利(1929年 1/16)
   ⇒慶應勝利(4:3.5)
   ミドル級の採点をめぐりトラブル(慶應ミドル級出せず)
7.「六大学リーグ」結成(1931年 昭和6年)
   ⇒慶應、早稲田、明治、法政、専修、日大
   慶應2勝1敗2引き分けで3位
   *JOAK(現NHK)実況放送、原主将がテクニック解説
8. 六大学リーグ戦の崩壊(1933年)
   ⇒「早慶明三大学リーグ」の結成(1934年)~時事新報の後援
9.「塾内対抗競技部」に加入、日吉に「蝮谷道場」完成(1937年)~部員60名に達す
10. 戦時色濃厚となり、軍事教練まがいのボクシング拒否、アマ連脱退(1943年)
11.「幻の早慶戦」(1943年11月)
   ⇒戸塚の早大道場~勝敗をつけない10数組のスパーリング
   ⇒⇒出場選手から数名の戦死者

Ⅲ. 慶應義塾ボクシング部の苦難と再建(戦後編)
1.敗戦と部の復活
   ⇒3人の部員の三田山上での再会と用具の入手
   高等部屋上での練習開始(1945年11月)
2.練習場を求めて、再びジプシーの旅(日吉は第8軍に接収、部室は第8軍の失火で失う)
   ⇒綱町グランドの銃器庫⇒剣道場
3.待望の「体育会」加入(1947年4月)
   ⇒レスリング、アメリカンフットボールと共に正式加入(創部22年)
   ⇒「慶應義塾体育会拳闘部」と称す(1949年 ボクシング部と改称)
4.辛苦の綱町道場時代~用具・服装・食糧
5.アマチュアボクシングの復活
   ⇒「関東アマチュア拳闘祭」(1946年6月)
   ⇒「関東大学リーグ戦」発足(1947年5月)
   ⇒「早慶明3大学リーグ戦」復活(1947年11月)
6.部員勧誘のための公開試合(1948年)~「三田演説館」と「地方遠征」
7.14年振りの復活「早慶戦」(1956年 4/21)
   ⇒日本テレビが中継、"日本ボクシングの父"渡辺勇次郎氏を招く、4-5で惜敗
8.日吉道場の再建(1958年)
9.復活後「早慶戦」に、始めて勝利(1960年 12/3) 4-3
   ⇒早稲田の全日本チャンピオンに、慶應果敢に挑む(砂押・泉水・河合)
10.「2部で初の優勝」(1961年)
   ⇒1部との入替戦 立教に3-6で敗れ昇格成らず
11. リーグ加盟以来初の3部落ち(1965年)
   ⇒OBの意見により2年間リーグ戦辞退、部の充実を図り再出発 ~「最暗黒の時代」
12. ボクシング三田会、新陣容となり東洋チャンピオン「矢尾板正」の指導を受け、
   磯貝・藤野がアマチャンピオンとなり、活気戻る(1967年)
13. 対東大対抗戦開始(1966年~71年)
14. 不振のなか早慶戦に勝利(1969年) 5-2
   慶應義塾阿修羅のごとく挑む。(吉田・長坂・藤野・四橋・中本が勝利)

Ⅳ. 直近の慶應義塾ボクシング部(2013年~)
1.34年ぶりの3部優勝(2013年)⇒入替戦は、専修大学に惜敗 3-4
  5年ぶりに早慶戦勝利 4-3
2.<2014年目標> 聖地「後楽園ホール」への復帰を果たす!
  「2部昇格」、「早慶戦連覇」
3.<2015年:創部90周年>

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